「便利さ」 と 「達成感」 ~日本人の忘れ物

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 さっきまで、フジテレビで 「日本人の忘れ物」 という番組を見てました。

 立川志の輔師匠が朗読された作文が心にのこりました。 
 




 
 師匠の作文は 「便利さ」 を追求することによって、現代の日本人は 「達成感」 を忘れていないか?
 それをさりげないスタイルで、深く語ってくれた文章だったと思います。

 師匠の母親が、火吹き竹を使ってフーフーかまどでご飯を炊く。
 洗濯板を使ってのゴシゴシ洗濯する姿・・・。

 決して便利ではなかった道具を使ってたけれど、自分の作業の中に 「どうよ!」 という達成感。
 その表情や背中での語りかけがあったよ・・・というお話でした。

 今はうまくいかないのを、その電気製品のせいにしちまう。
 そりゃあ・・・確かに毎日忙しいけど・・・さあ。
 
 そんな今の時代には、圧倒的に自分なりの 「達成感」を感じることがすくないのじゃないかな? 


 なんだか、共感できる内容でありました・・・。


 「便利さの追求する」 というのは、時の流れとは不可欠な要素で、資本主義や文明の原動力に思えます。
 この 「便利さ」 というものは、おそろしく二面性を持っている思います。

 でも、これ以上の 「便利さ」 って必要なのか?
 なにか大切なものを犠牲にしてしまっていないか?

 「便利さ」 が周囲のすべてのものに、当てはまるものなのか?
 絶対的に服従してよいものなのか?

 それは・・・最近、少しあやしくなってきているような気がしてきました。


 ここ2.3年、趣味になってきたこと。
 それは、休日にフィルムカメラを手に出かけること。

 その帰り道には、いつも同じ不思議な感覚をになります。

 70年代や80年代以降に現れた、新しいカメラたち。
 本当にゴキゲンなくらい、超便利です。^^

 自動焦点のカメラは、視力が衰えた頃にはありがたい存在になると思います。
 自動巻上げのカメラは、指がうまくうごかなくなった人にとってとっても有り難い存在でしょう。

 でもなぜか、最終的に自分がいちばん好きになってしまうのは、電池のない機械式のカメラです。

 なぜこんな簡単なつくり(すみません)のシャッターが1秒~1/1000秒を正確に刻めるのか?
 どう考えても、いまだに不思議でなりません。

 不便なカメラで1枚のフィルム写真を撮るのは、やっぱりおそろしく不便を感じざるを得ません。
 でも・・・不便だからダメなのか?といえばそうじゃないと思います。

 すべての責任の所在が自分にあるから、好きです。
 自分は今は、面倒くさがってなかなかそれを追求しなていないから。

 やっぱり、パシャパシャシャッターを切っているだけでは・・・全然うまくなってはゆかない。^^
 つい、いつも面倒くさがってしまっている自分には、この感覚は合っていると思います。

 確かに、ずっと逃げることができないから。
 長い時間をかけて、うまくなってゆきたいなあと思えます。

 まあ、仕事じゃなくて趣味だから。
 それが楽しく感じれるのでしょうね。

 撮影に行った数日後、現像されてきた写真。
 一枚だけでも、「どうよ!」 という写真が偶然写っていたら・・・。

 それがいちばん、うれしいです。^^

 反面、仕事をしているときは。
 やっぱり 「便利さ」 で 「効率性」 を追求するのは非常に大切。

 その分、あたたかさや人の役に立つことを常に胸に行動できたら・・・すばらしいなあと思います。
 そのことを書いておられた、番組中のガード下の散髪屋さんのおばあちゃんの作文も感銘を受けました。

 そのほか、番組で朗読してくれた、所ジョージさんやビートたけしさんの作文も印象的でした。
 二人に共通していたのは、「みっともないことをわすれちゃった」 日本人たち。

 このあたりに、われわれ 「日本人の忘れ物」 があるのかもしれないですね。
 ここ数十年で忘れてしまったみんなのそれぞれの忘れ物。


 個の時代。

 それぞれの人がそれぞれの忘れ物をとりに戻らなきゃいかんと考え。
 それぞれが行動するのはいつになるのかな?
 
 
 
by chikazo-toto | 2009-11-23 00:09 | つぶやき